ソシャゲへの反感は、ワインの方程式が生んだ反感と同じとは言えない

新清志の「ソシャゲへの反感はワインの方程式が生んだ反感と同じ」という記事を読んだ。興味を惹く主張だが、結論への導き方が乱暴で無理がある。影響力の大きい人の手になる記事なので、批判しておきたいと思う。

この記事はゲームと心理学と銘打った記事の第2篇。第1篇は、次のような内容である。ソーシャルゲームを1年間遊んでみたが、何か釈然としないものを感じた。ソーシャルゲームの会社を取材する中で、統計用語が飛び交っていて、何よりもデータが重視されていることに気づいた。そして、その違和感の出所として、こんな推論で括っている。

どうも、そこには最新の心理学の成果からは、人間特有の認知バイアスが存在すると考えていいようだ。我々はディフォルトで勘違いする生き物なのだ。どうしてもどこか認めたくないのだが、「データ様」が正しいのだ。

すなわち、ソーシャルゲームはデータ重視による運営が行われており、それが従来のゲームと異なる点であることに気づいた。同時に、自分(を含む人間)は、データ(やデータを扱うアルゴリズム)が正しいと言うことを認めたくない。それがソーシャルゲームに対する違和感(第2篇では反感)につながっているとの仮説が述べられている。

この仮説に、すでに誤謬が含まれている。ゲームの運営会社が気にするデータは、プレイヤー個人の立場からは明白に見えているものではない。記事の書き手が業界を取材して初めてその舞台裏を知ったというのが実情だ。つまり、個人データの集積およびその解析などは、プレイヤー個人の「認知」の対象ではないにもかかわらず、ゲームを遊んで得た違和感に、データドリブンなゲームの開発や運営に対する感想(認知)を重ねようとしているのである。

第2篇はこの仮説を実証しようと試みたものだ。まず、ワインの価格(品質)変動を3つの媒介変数による重回帰式でかなりの程度説明することができた。そのことで、前年の冬の降水量と、夏の育成期の平均気温と、秋の収穫期の降雨量がわかれば、ワインの品質は専門家によって決定されずともかなりの程度判定可能だし、将来予測も可能だということになる。

これに対する反感がワインの専門家から出たことと、ソーシャルゲームが数式などで表されるアルゴリズムによって支えられているから、それに対する記事の筆者(ひいてはゲーム愛好家や従来のゲームクリエイター)の反感は同根のはずである。よってこの記事は、ソーシャルゲームに対する反感は、人間のアルゴリズム(数式)支配に対する反感である、と結論づけたいようなのである。

まず確認しておくべきことは、ワインの品質を予測する方程式の判断基準はワインの専門家によって下された過去の品質評価だということだ。方程式があろうがなかろうが、ワインの良し悪しは、それを判別する人間の官能によって決められる。つまり、ワインの品質(おいしい、まずい)を判断する主体はワインの専門家であり、スキルセットは昔も今も変わらない、ということである。

ところが、現行のソーシャルゲームは、コンソールベースの従来型ゲームを開発したり遊んだりするスキルセットがそのまま適用されない可能性を大いに孕んでいることが、ワインの場合とは決定的に違う。面白いとか楽しいとか感じるツボやプレイヤーの属性が異なる可能性が高いのである。

ワインの場合は、ワイン対数式の構図が成り立つが、ゲームの場合は、ソーシャルゲーム対数式の構図の他に、ソーシャルゲーム対非ソーシャルゲームという構図も成り立つ。さらに、ゲームをディジタル以外に拡張すると、例えばパチンコというゲームに数式で表現可能な確率がそのビジネスを支えていることに対して、プレイヤーは違和感やら反発を表に出すことはない。

つまり、違和感の出所(原因)がアルゴリズム支配にある、という仮説は、ワインやその他の事例を持ち出したところで証明できないのである。ソーシャルゲームだけがアルゴリズムに支配されているわけでないのであって、ゲームはすべからく背後にゴールに向けての何らかのアルゴリズムを許容する。また、ソーシャルゲームを面白いと感じるツボが他のゲームとは異なることが違和感の出所であるという仮説を覆すこともできないのである。

この記事ではカーネマンの思考システムのモデルを持ち出して、こう断定する。

我々は自分たちが、統計的な存在にされたときに、「機械的」に感じて、ゲームをつまらなくしているように直感的に感じてしまう。それは、人間自身がそう感じるように作られているからである。

だが、統計的な存在であることを、ゲームによってプレイヤーが機械的に感じるという話は、ソーシャルゲームであるかどうかに関わらず常識的に考えて嘘である。リアルであれバーチャルなゲームであれアメリカンフットボールや野球をプレイしたり応援する人が、統計的な存在であることを機械的に悟り、直観的につまらないと感じるようにはなっていない。認知のバイアスと、前提となる仮説には直接の関係はない。

残念だが、自ら立てた仮説が正しいとの前提をおいて、それこそ認知バイアスによって三題噺のようにネタを組み合わせてみたものの、仮説の証明にはならなかったと結論づけられるだろう。

ただ、記事の筆者が感じた違和感について、それが何なのかをさらに突き詰めて考察することは無意味なことではないと思う。ゲームに感じた違和感やつまらなさを契機としたにせよ、ゲームの面白さとは何かを探り当てることは、ゲームの関係者なら誰でも挑んでみたいことだろう。

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大下文輔 について

Communication Strategist, Freelance
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