Moneyballに見たシステム2とシステム1

僕は野球の熱心なファンではないし、どちらかというと疎い部類に入る。また映画についても数多く見ているわけではない。だから、野球を舞台としたこの映画についてあれこれ言う資格に乏しいことは自覚している。ただ。敢えてここに感想めいたものを記すのは、この映画は野球を舞台にしたマネジメント論の映画でもあるからだ。

この映画は、行動経済学の泰斗であるダニエル・カーネマンが取り上げているシステム1、システム2からなる2つの思考パターンによるマネジメント手法のせめぎ合いであり、オークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGMがこのチームを低予算で勝率をあげるという課題に対してとったシステム2によるマネジメントの成功物語でもある。

簡単に言えば、システム1は直感、すなわち過去の経験や勘も含むスピードは速いが学習に時間のかかる思考方法、システム2は推論、すなわちスピードの遅い合理的な思考である。

実際に彼がアシスタントを駆使して採用した球団運営に関わる野球統計は、セイバー・メトリクスと呼ばれるものを下敷きにしており、映画(および原作)ではマネーボール理論と表現されている。ビリー・ビーンは統計をベースにした推論(すなわちシステム2)で離脱した高給取りの選手の能力を、低報酬の複数の選手(しかしこのほうがトータルコストは安い)で埋め合わせし、その選手達を活用することを現場に求めた。マネーボールの実際については、この記事でわかりやすく解説されている。

選手はシステム1の世界に生きている。何にも増して重要なのは打撃・守備・走塁スキルであり、戦略や戦術ではない。キャッチャーから一塁にコンバートされた選手はひたすら、来た球を捕球し必要に応じて投げる。投手と打者の駆け引きのようなことがあったにしても限定的で、そのための情報の分析と提供は他のスタッフが行えるのが理想。

選手としての経験は、システム1中心の世界における経験に他ならず、それがチームの運営や、試合の組み立て、戦術に求められるものとは性質が異なる。どうしたら勝てるのか、という問いに対し、打撃・守備・走塁スキルの向上というのは必要条件であって、十分条件ではない。名選手必ずしも名将ならず、という事実はそうしたことに由来する。

マネーボールの主人公は、選手としての実績が、球団運営に能力としても貢献するわけではないことを認めつつ、システム2によるマネジメントスタイルを野球の世界に持ち込んで有用性を証明してみせた。それがこの映画のドラマの根幹部分である。

手駒も予算もない、というのっぴきならない状況がGMに、当時としては思い切った策としての「数字で読み解く」方法への傾倒を推し進めた。そのためにうってつけの才能を(新米という、比較的安い給与で雇うことで)手に入れ、実践してゆく。

成功したわけではないが、選手ではあった、選手にならなければスタンフォードで学び、インテリの仲間入りを果たしたかも知れない、という微妙な位置づけが幸いして選手や職員の反抗をかろうじて抑制することになるのも人生の彩だ。(Wikipediaによれば、オークランド・アスレチックスでセイバー・メトリクスを最初に導入を目論んだのは、ビリー・ビーンの先代GMだったが、彼はプロの選手経験がない弁護士で、監督との確執を生んだとのこと)

GMが直接的に「変える」必要があったのが監督だ。監督もシステム1の世界の住人だった。しかも、彼は勝つための戦術にも責任を追う立場だ。監督こそが、システム1のスキルを熟知した上で、システム2スキルを身につけて現場をマネジメントする必要があった。

分析の結果に基づく選手起用をしない事に対して、GMは上司の立場で現場に口を挟む。だが、現場に何より精通しているという矜持があらばこそ、監督はGMの言うことに耳を貸さない。それは自分の仕事だ、とGMの指示を無視する。無視されたGMはやり返す。この衝突こそがシステム1をベースにしたマネジメントと、システム2ベースのマネジメントの対立の象徴だ。経験と勘に頼るか、経験と勘よりも事実を主体におくか。

映画では各方面の反対が強く、成果の出ない7月までの葛藤と、成果の出始めるそれ以降の快進撃の対比で、GMの成功を表現している。前年度の主力選手を欠きながら、連勝記録を樹立し、地区優勝を果たすチームになったというわけだ。もともとノンフィクションなので、説得力はある。

こうしてみると、選手はシステム1主体。監督以上のマネージャーはシステム2主体だ。コーチはシステム1的スキルをよくわかっている人が、システム2的思考によって選手のスキル向上を目的として、フィードバックをする、という事が職業の本分なのだろう。

それにしても、実際に数値を操り戦略の基礎となるデータを操っているのは、野球ベースを一周走っただけで息の上がってしまいそうな、アスリートとかけはなれた体型の若造である。少なくとも映画の中では、彼のスキルなしでは戦術もへったくれもない。しかし、彼はシャーマン的役割を果たしてはいるが、ユニフォームを着てプレイすることは金輪際なかろう。彼は、野球はシステム1とシステム2の協業によって戦ってゆくべきものであり、そこには異なる才能による分業が必要だ、ということの象徴になっている。

その彼、太っちょのアシスタント(ピート・ブランド)のキャラクタ-はおたく的だが、心底野球が好きだという姿勢がにじみ出ている。ファンの数もそうだし、野球好きの層の厚さが、野球というビジネスを支えているのだということがよくわかる。

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大下文輔 について

Communication Strategist, Freelance
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