ゲーム化における内的・外的動機づけ (翻訳)

原文はこちら:Originally posted by Gabe Zichermann @gamification.co

ゲーム化とはゲームの考え方や仕組みを利用してオーディエンスを引きつけ、問題解決するものである。この新興の分野--ロイヤリティ、行動経済学、そしてゲームデザインの交わった部分にある--は、劇的に大きくなっており、ガートナーグループの予想では、2015年には70パーセントの世界的な大企業がゲーム化を活用している。

目を見張るような初期の成功、そして急速に増えつつあるゲーム化にハイライトを当てた数多くのケーススタディをもってしても、多くの疑問は残っている。それらの中でも、最重要のものは行動形成におけるゲーム化の役割と、人間の動機付け理論の整合性についての議論にほぼ代表される。プロダクトデザイナー、ストラテジスト、あるいはマーケティング幹部にとっては、動機付け理論はきわめて直感的にわかることである--あなたは製品やブランドや経験をデザインし、当然の帰結として消費者に生まれながらに備わっている欲望に結びつける。心理学の学位をもっていなくとも、素晴らしく、本質的に意味のある製品/サービスを企画できたとしても、ゲーム化の関与するところをより深く掘り起こしておくことは有用である。

今現在の、最もホットな話題は人間の動機付けについての問いである。古くさく聞こえる危険を冒して言うなら、筆者は15年以上前に天才児の心理学を研究しており、それは学位論文のために作業している間のホットなものでもあった。ざっくり言って、大概の人は動機付けを二つに分ける–すなわち、内的なもの(intrinsic)と外的なもの(extrinsic)である。簡単なコトバでいうと、内的動機付けは、何かをするときに、元々そこに備わっている性向である(あるいは、すること自体にあるいはすることの中に見返りがある行動をとろうとすることである。)外的動機付けは外的な報酬あるいは罰によって何かをする(または避ける)ことを押し進める。

大部分の人が直感的にこの二つの区分を理解しているとはいえ、それは必ずしも見かけほど明快なものではない。例えば、とりわけ、自己決定理論のような全体論的な概念ではこれらの動機付けは流動的なものと仮定している;人々はそれをしたい、と欲望を内在化させることで外的な要因を内的なものへと変換することができる。言い換えれば、外的要因が有意義なもの、満足のいくもの、あるいは自分の世界観に一致するものとわかれば、彼/彼女はあたかもそれが内的なものであるかのように採り入れることができる。

あらゆる、人間とシステムの関係において、動機付けの状態が複雑に相互作用するものであることをはっきりと見ることができる。あなたが、普段行っている会社の仕事を考えてみよう。一年の経過の中でずっと、あなたは自分の仕事に関係する、たくさんの動機の状況を経験するだろう:諸活動に対する内在的な愛着、給与に対する外的欲求、成果を認められたいという内的なニーズ、月間の駐車スペースを確保したい雇用者としての欲望など。

けれども、そもそもなぜわれわれは内的・外的な要因を理解したいのだろうか?それには、3つの主な理由がある。

  • ユーザーの内的な動機付けにぐっと近づいて協調することで、より大きな満足を生み出すことができる。
  • 研究が、この協調はより質の高い結果をもたらすことが示唆している。(とりわけ、高尚な思考や忍耐を要する作業について測定する場合にあてはまる)
  • われわれが努力と資金を集中させられるものとして、ユーザーはどんな報酬がいいと思っているのか知る必要がある。

上記ポイントの1と2にはほぼ異論がないものの、サイエンスとゲーム化での実践利用の両方で、二つの領域でいくばくかの対立が起きている。主たるものは、何が内的あるいは外的報酬を構成しているか(モチベーションには適合しているが、著しく異なっているもの)という疑問と、それらをいかに活用して、望ましい行動を作り上げるか、ということに集中している。順を追って取り組んでみよう。

簡単のために、動機づけと外的報酬効果の研究ではインセンティブの検証に、現金を用いてきた。かなりの程度一貫して、タスクに内的な動機付けをしようとして金銭的な報酬を導入したことは、被験者の内的欲求(かつ/または 興味および満足)の感覚を低減させた。金銭のインセンティブはしかし、たとえそれらがモチベーションにダメージを与えたとしても、必ずしも常に実証可能な成果を減じるわけではない。

それとは対称的に、金銭以外のインセンティブ(たとえば賞賛)を検証した少数の研究では、それらは常に満足と内的動機を高めることが見いだされた。この結論はマズローなどの理論(ユーザーはお金がなくても飢える危険にさらされることはないと仮定している)と一貫性を保ち、筆者のSAPSというゲーム化された報酬モデルとも一致した(影響力の順に、Status、Access、Power、Stuffが最大の報酬体系をもたらす)。(Nike+のような)とても成功したゲーム化されたシステムやビデオゲームそのものについてのヒューリスティックな分析は、これが支持するに足る結論であると示唆している。

筆者は長きにわたって現金(SAPSモデルの中ではStuffと称している)は事実上、良好で長期的なエンゲージメント構築にとっての敵であると唱えてきた。とりわけ、明示的に金額換算されるものは(例えば、10ドルのギフトカード、2割引きのクーポン、3.5ドル相当のコーヒーなど)あなたが彼らの行為にいくらの価値があると思うかを金額で知らせることによって、彼らが自分たちの行為にそういう価値づけをすることを許してしまう。金銭的な対価を導入すれば、ユーザーは経済の物差しによる世界観に沿って行動するが、そのことで彼らの感情による視点を実質的に活用しにくくしてしまう。ユーザーにモノで報酬を与えようとするどんな企業も、すぐにその戦略がもたらす依存の例となってしまう。(Bed Bath&BiyondやOld Navyの例がすぐに思い浮かぶ)

興味深かったのは、価値の交換について自らが報告する見解と知られている科学的な知見の不一致である。多くの現代的にゲーム化されたデザインは--なおかつ確実に筆者の仕事にヒントを得たものは--ほとんどが金銭以外の報酬を執っていて、過度の正当化や乗り換えを防ぐようにしている。けれども多くのユーザーは時間が経てばそうした報酬を評価しなくなり、彼らはプロセスの締めくくりとしてモノを期待するようになる。(例:”Foursquareはこんなバッジを何かと引き替えられない限り興味ない”)こうしたより全体的な動因、誘因、報酬についての見解は、一連の人間の動機付けと完全に平行線を辿っている。

別のやり方で見てみよう:動機づけをデザインするための最良のシステムは、ユーザーの内的動機に語りかけつつ、同時に金銭的および非金銭的な(または有形無形の)評価をもたらす外的報酬を与えることである。しかし時には、発動した内的要因は最も道徳的にあるいは論理的に正しいといえないことがある。

社会経済的に低階層にある子どもたちの体重をいかに減らすか(あるいは学校の成績を望ましいレベルに引き上げるか)、という問題を例に取り上げてみよう。経験的な証拠からは、こうした子どもたちは、やせることについての内的動機は低い。彼らは運動のためのあらゆる道具を持っていて(でも、彼らは運動しない)、標準的なカリキュラムの中で栄養についての基礎教育を受け(でも、彼らや親は無視するようである)、そして多少の例外を除いて、彼らは裕福な同級生に較べて、体重過多となるような遺伝的な素因を何ら持っているわけではない。

ところで、われわれは彼らは低品質の食べ物(多くのファストフードを含む)を摂っていることを知っているが、ファストフードを禁止するような決まりもなく、学校の昼食を改善するためのスロー・ムーブメントというなかで、われわれは他に何ができるのだろうか?論点は--厳格な内的動機付け論者とリバタリアンの両方が同意するだろうが--この問題に関して子ども(そして/または その親)に対して直接の責任を持たせるべきであるということにある。あらゆる証拠や選択肢や道具にがあるにも関わらず、彼らは正しいことを行うために必要な動機を持ち合わせていないのだ。もし、われわれが彼らがやせたいという内的動機に語りかけるシステムをデザインできなければ、われわれは何もすることができないだろう。

別の視点--、ザムジ-(最近ホープラボからスピンアウトし、私が顧問をしている会社)によって具体化されたもの--は、われわれはユーザーの内的動機の状況が必ずしも問題解決と一致しない場合であったとしても、危機を回避するためにはすぐに行動を起こさなければ行けない、というものである。ザムジ-の巧みな解決法--ポータブル加速度計とゲーミファイされたソーシャルオンラインシステムをマッチさせること--は、驚くほどの効果を示した:それまでと違ったやり方をとることで、運動しない子どもを毎月マラソンに匹敵するほどの運動をさせたのだ。ザムジ-はこれを内的な欲求の核心に届くような、明らかに外的な報酬(ポイント、バッジ、リーダーボード(訳注:ゴルフのスコア順にプレーヤー名を書いた告知版)、無料の景品)を与えることによってなしとげた:すべての子どもは進んでそうした仲介物に対し、自己決定することを望んだ--必ずしもやせるという動因ではなく。

そこには、根拠に基づいたゲーム化のデザイン概念と過度に単純化された動機付け理論との不一致がある:内的動機に盲目的に頼ってしまうと、挑戦事項が”困難な”場合には、大規模な行動の変化をもたらすことができそうにない。内的動機の状態に語りかけるようなものの周囲に築かれ、注意深く選ばれた外的報酬(時には変えようとしている行動に最も近く結びついてはいない)は、われわれが有している最も強力なデザインモデルなのである。

この結論は経験的な証拠(アルコホリックス・アノニマスあるいはウェイトウォッチャーズを参照のこと)を補強したばかりでなく、動機付け理論によっても簡単に裏付けられる:もしある人が不当にも外的報酬を望んだとすれば、それは内的かつ本質的なものになり得る。そして一旦内在化すれば、それは別の内的欲求と同じだけの動機をもたらす潜在力をもつ。これは、名誉(や富)の概念にあてはまるし、人々の人格や決定権を奪うものではない。さらには、このことは内的・外的な報酬と動機の相互作用がわれわれの経済的、政治的、宗教的、社会的体系の基礎的な構造を形作っている--それはこうした二重性そのものが人間に生来備わったものだということを示唆している。

よいゲーム化デザインはプレイヤーの内的動機づけを理解し、組織の目的と調和させるものである。その結果、外的報酬の利用や内的に満足させるデザインを通して、プレイヤーを熟練への旅へと進めてゆく。この旅は、エンゲージメントを創るために、欲望、インセンティブ、挑戦、報酬、そしてフィードバックと言った要素を必要とする。

われわれは、消費者の内的な動機を活性化させようともくろむ一方で、これは連続体として存在するものだと認めなければならない。われわれは両種が揃った報酬を配置し、一定の幅を持つ動機付けの状態に対して取り組むことになるだろう。うまく仕事を成し遂げたなら、その経験は楽しいものとなり、消費者をひたすら満足させるだろう--たとえわれわれは常に最も明白な動機に従うことではないにせよ。そして、外的報酬が、より丹念に作られ(ターゲット設定がなされ)れば作られるだけ、ユーザーはそのプロセスを内在化させ、自分ごと化していくのである。

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大下文輔 について

Communication Strategist, Freelance
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