ゲーミフィケーションなんてデタラメだ (翻訳)

以下は、ジョージア工科大学教授のゲーム研究者Ian Bogostが2011年8月8日~9日に行われた、Wharton Gamification Symposiumに向けて、ポジションステートメントとして、彼のブログにポストした記事の翻訳である。

原文のショートURL: http://bogo.st/wm

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道徳哲学者のハリー・フランクファートは小論「ウンコな議論(On Bullshit)」のなかで、デタラメ(bullshit)について役に立つ持論を展開している。われわれは普通、bullshitというと、若干雑ではあるけれども、ウソやペテンと同義語だと思っている。けれども、フランクファートは、bullshitは事実と無縁のもののことである、との主張を行った。

Bullshitとは、むしろ、秘匿したり、押しつけたり、強制したりするものだという。ウソつき(liar)とは違って、bullshitter(でたらめを言う人、ほら吹き)は、事実について言及しない。彼らは、無視していることについて隠し、自分の利益になることだけ問題にするのだ。

ゲーミフィケーションなんてbullshit(デタラメ)だ。

私は何も、刺激したり挑発したり、怒らせようとしているのではない。哲学的に語っているのだ。

もう少しキチンというと、gamificationはマーケティング上のbullshitで、コンサルタントたちが、みんなが欲しがっている野生のケダモノなるビデオゲームを捕まえ、それを手なずけて、灰色の荒れ地、つまりbullshitがそこら中に転がっているビッグビジネスで使えるようにと考え出したものだ。

ほら吹きどもはたくさんいるが、バカではない。ゲーミフィケーション、というコトバのパワーは絶大で、彼らがゲームをこうだと思わせたいように、つまり何百万人の注意を引くような、神秘的で、不可思議で、強力なメディアであり、また現代ビジネスのコンテクストの中で扱えるようなものだというように、的確に仕向ける。

ゲーミフィケーションというコトバは安心材料だ。それは、バイスプレジデントやブランドマネージャーたちに安心感を与える。彼らのやっていることはすべて正しく、“ゲームの戦略”を加えること、あるいは甘言だらけのコンサルタントの売り込み目的のランチでチャバタにたっぷりかけるオリーブオイルのように“ゲーム性(gaminess)を加えることで、彼らの既存の製品をよりうまく進めていける、というように。

ゲーミフィケーションは安直だ。それは、単純で繰り返し可能なアプローチを提案するが、そこではためになることも名誉も美学も、容易さに比べれば重要ではない。コンサルタントや新興企業にとって、それは、ワークショップや本やプラットフォームやAPIといった、少々の追加費用を伴う形で繰り返し行われてきた商売と同様のbullshitなのだ。それは、四角にチェックマークをいれるようなことである。ソーシャルメディアストラテジー?はいチェック。ゲームズストラテジー?はいチェック。

今回のシンポジウムのタイトルは、そうしたポイントを端的に表している。仰々しい予算増加の矢印や怒張したロケットがつづく、 “勝利するための(For the Win)”というスローガンは、このパワフルな丸薬がもたらすであろう、避けようのない持続勃起症、すなわちエンゲージメント不全(予定通り行かないこと)用のバイアグラ効果、予算年度の四半期間の勃起持続保証といったものを暗示している。

この(gamificationの)レトリックのパワーは“game”よりは”-ification”に由来するものだ。 ”-ification“には単純で繰り返しのきく、実績ある手法あるいは手段の意味を含んでいる。たとえば、purify(精製する)、beautify(美しくする)、falsify(改ざんする)、terrify(脅かす)等などに適用できる。-ificationは常に安直で繰り返し可能なものであり、大概はbullshitだ。それはポイントを加算するだけのようなものだ。

ゲーム開発者やプレイヤーはゲーミフィケーションを、ポイントやらレベルと言った二次的なものを、複雑なる人間行動との相互作用と言ったゲームの基本的な特性であるかのように誤り、取り違えていると見なす立場から批判してきた。いや、それも事実かも知れないが、事実であるかどうかということは、ほら吹きどもにはどうでもいいことなのだ。ゲーミフィケーションの重要なポイントは、まさに、販売を可能な限り手っ取り早く行うことなのだ。

事実になお興味を抱く我々のために、ゲーミフィケーションの真の目的をあらわすより正確なコトバとして、私は”儲けウェア”(exploitationware 訳注:funwareという、ゲーミフィケーションに類するコトバの更なるもじり)というコトバを提唱してきた。Exploitationwareは、ゲーミファイしようとする人の真の意図を捉えている。すなわち、いかがわしい専門性によるサービスを通じ、次のbullshitなトレンドがやってくる前、せいぜい銀行口座に金が一杯入る位まで位の期間しか持続しない、文化トレンドのタイミングを捉えて投資することを説得するというペテン師のゲームという特徴も捉えている。

私は、考えの甘い人間でも愚かな人間でもない。私はゲーミフィケーションが、最先端のマーケティングミラクルとして、ゲームを広めてゆくというやり方への安直な回答だ、と認識している。私は、真剣にゲームを利用することは多くのビジネスのオペレーションそのものを変えてゆくことを意味することも認識している。競合のストラテジーと業績にあわせるやりかたをとり、夕方5時に退社することを目標にしている人にとって、月並みなコトバが魅力的に映ることも私は理解している――なぜなら彼らはそうしたものを望んでいるからだ。そうではない残りの人、すなわちゲームは既存のビジネスの慣行を踏襲するのとは異なったもの、あるいはそれ以上の何かをもたらす、ということに思いを巡らせる人々には、ビジネス界はもう一つの名を用意するだろう。彼らは、そういう人を“リーダー” と呼ぶのだ。

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大下文輔 について

Communication Strategist, Freelance
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